寒いのに、あたたかくなることばがある。
 休み明けの月曜クラスのとき、お母さんの実家の京都へ行っていた一年生の女の子が、みんなに和菓子を持って来た。
 「さっちゃんのおみやげだよ」と、おやつのときに一個ずつ分けて、京都の話をしながらいただいた。ディズニーランドや、あちこちの家族旅行に連れていってもらった子は、時々アトリエにもおみやげを持って来てくれるので、そのたびに全員に分け、地名や名物の話をして、おやつ旅行を共にしているのだ。
 みんなで高級そうな和菓子をいただき始めたとき、一年生のカレンちゃんが、小さくパクッと一口ほおばって「ありがとう」とニッコリ。二口食べても「ありがとう」。持って来た子の方を見ながら一口ずつお礼を言っている。そのしぐさはゆったりとかわいく、思わず「うんまい」とパクついていた上級生の男の子まで「あっ、どうもな」と口にして、「ありがとう」の空気がアトリエをオレンジ色にあたためた。
 なんの計算もなく、言わせられたのでもない子どもたちの正直な「ありがとう」が、こんなにも気もち良いものか、と私はとてもぬくもった。
 そして思った。心を冷やして「死」を選ぼうとする子どもたちは、こんな自然な「ありがとう」を言い交わしたことがあったのだろうか、と。親が子に、子が親に、生徒が先生に、先生が生徒に、頭でなく心で「ありがとう」を伝え合っていたら寒い結果にはならないはずだ。
 だって、お互いは本当に居てくれるだけでありがたい存在なのだから。
 別のクラスの日、「アトリエで一番いっぱい使うのは画用紙でしょ。じゃあ一番いっぱい使うことばは何でしょうか」と聞いてみると、いろいろ考えた末に、「ありがとうだね」とわかった。
 みんな一人では生きられないからね。心からの「ありがとう」はあたたかい。